Column

コラム

社名について

2025/01/08

お客様とのお話でよく聞かれることがあります。
「オムニブレインというのはどういう意味ですか?」

今回は、社名の由来について書いてみます。

会社員時代、つくば市稲荷前というところに住んでいました。近所に「赤塚公園」という公園があり、週末には良く散歩していました。
ある時、散歩中に妻と「将来、独立できたら会社名はどうしよう?」という話になり、歩きながら色々と考えてみました。

1997年頃だと思いますが、その頃からぼんやりと独立ということを考え始めていました。事業内容としては、ソフトウェアの開発・コンピュータを中心とした色々なコンサルティングを想定していました。 そこでその事業に合い、普通過ぎないような、あまり一般的でない、でも覚えやすい名称を考えることにしました。

2人でいくつも単語を出し合い、最終的に決めたのが「オムニブレイン(OmniBrain)」です。
「OMNI」は、「すべての」とか「あらゆる」という意味で、当時憧れのノートPC「HP OmniBook」からヒントを頂きました。
「BRAIN」は本来「脳」という意味ですが、「知識やアイディアを提供する」などという意味もあります。
ですから社名を日本語訳すると「(コンピュータを通して)色んな技術やアイディアを提供する会社」のような感じになります。 なんだか範囲を広げ過ぎかもしれませんが、そんな思いを込めている名称です。

もちろん、この時点で独立の目途が立っていたわけではありませんでした。
ただ名称を決めた後、当時自宅の設計をお願いしていた建築事務所から「ホームページを制作してほしい」と依頼を受けました。準備をしていると何かが動き出すような感じでした。
法人化していませんので、個人事業「オムニブレイン」として初めて受注した案件です。

名称を決めてから、約3年後の2000年に独立し、法人化しました。
いろいろなお客様の仕事を頂くようになりましたが、ほとんどのお客様から「オムニさん」と呼ばれています。

今年には設立丸25年を迎え、また日本HPの正規販売店となり、自社で「HP OmniBook」を販売できるようになりました。これも不思議な縁だと思っています。
(自分のノートPCは、Panasonic レッツノートですが!)

オムニブレイン 代表 鈴木一哉

「カッコウはコンピュータに卵を産む」

2024/11/20

これだけ書くと一体何が何やら分からないと思います。 これ、1989年(日本語訳は1991年)に出版されたノンフィクションの題名です。
著者はクリフォード・ストール(当時、アメリカのバークレー研究所のサーバ管理者)。
インターネットが一般に普及する前の時代、アメリカのARPAnetなどが大学や研究機関のサーバを接続していた時代の実話です。
当時、サーバは非常に高価であったので、共同で利用することが一般的でした。利用者が利用した時間分だけ料金を払う仕組みです。
サーバ管理者の著者が1ドルに満たないサーバ利用費の誤差を見つけ、その原因を探っていくうちに国際的ハッカーの仕業であることを見つけます。
1980年代後半、国境を越えてハッキングを繰り返すハッカーに対応できる法、仕組み、組織が無く著者は自力でFBI,CIA,軍などと交渉してハッカーを追い詰めていくという話です。
ハッカーは当時のKGBに雇われ、米軍などにも侵入し情報を取得するというスパイ活動をしており、その後、逮捕されました。

当時は見たこともない大規模なネットワークの話やサーバの話が非常に面白く、サーバを触ってみたいと思い始めました。
これが現在の弊社事業の一つであるインフラ系に興味を持つきっかけになり、また、セキュリティという分野があることを知りました。

その頃、日本ではニフティサーブやPC-VANというパソコン通信が始まっており、私もPC-9801EX2にモデムを繋ぎ、ニフティサーブに加入し、いくつかのフォーラムに参加していました。
モデムはたぶん2,400bps程度だったと思います。今の光回線と比べると途轍もない遅さですが、テキストだけのやり取りでしたので十分と言えば十分。
あるフォーラムでは、頻繁にオフ会(飲み会)を開催しており、私も関東に散らばるメンバーを集めて当時の牛久シャトー(茨城県)でバーベキューオフ会を主催したことがあります。

こうやって見ると通信速度やコンピュータの処理速度は飛躍的に進歩しましたが、セキュリティ的な面ではまだまだかと思います。
最近でもランサムウェアによる被害などが多く発生しています。
黎明期のネットワークからハッカーは存在し、今も更にパワーアップして暗躍しており、コンピュータ技術に関わる者として悲しくなります。
ハッキングする技術があるならその技術を良いことに生かせばいい。
コンピュータやネットワークをそんな犯罪に使うな!と強く思います。

オムニブレイン 代表 鈴木一哉

「カッコウはコンピュータに卵を産む」は上下巻あり、現在は文庫本になっているようです。
私は30年以上に渡り、何回も読み返しています。幾度の引越しや断捨離にも耐え、私の手元には今もハードカバーの単行本があります。

カッコウはコンピュータに卵を産む(上) (草思社)

カッコウはコンピュータに卵を産む(下) (草思社)

私のコンピュータ歴

2024/10/01

代表の鈴木一哉です。
振り返ると約40年に渡ってコンピュータに携わってきました。
ITの仕事をしていると言うと、「ゲーム好きなんですか?」と聞かれますが、ゲームはほとんどしませんし、開発もしていません。
ただただコンピュータが好きなだけです。理由は今も分かりません。

1.黎明期

最初にコンピュータに触れたのは1982,3年頃で、「ポケットコンピュータ」と言われていたもの。
関数電卓機能がメインで、簡単なBASICが動くというものです。
ディスプレイは1行のモノクロ液晶しかなく、それでも簡単なゲームプログラムを入力して遊んでいました。

その後大学生になり、大学生協で富士通のFM-7を購入(ローンで!)
このマシンは、8ビット機でキーボード一体型の本体で、カラーディスプレイ付き。
ストレージはカセットテープ。(当時のHDDとプリンタは高価だったので、購入できず)
当時「Oh FM」という雑誌があり、色々なプログラムのソースコードが掲載されていて、頑張って入力して動かしていました。
ただ、誤植もかなりあり、それが原因でプログラムが動かないことも多々ありました。

2.社会人

社会人になってからは、職場にあったDECやNEC N5200等の業務用システムを触り始めました。
個人ではPC-98,DOS/V等を購入してプログラミングやパソコン通信などをしていました。

ある時、職場でサーバ機を導入することになり、サーバOSであるWindows NT 3.51の管理を任されました。
これが初めてサーバOSを触る経験となりました。1996年ごろだと思います。
一般にはWindows95が出てきたころです。
この頃からインターネットが徐々に浸透し始め、社内でも部署ごとのホームページを作成し始め、HTMLやCGIの基礎を学びました。

そこから暫くの間は、NT 4.0も含め、NTメインの業務に携わることになりました。
一時期は、NTサーバ20台程度の管理をしていたこともあります。
同時にサーバ管理に必要なネットワーク等のインフラについても学んできました。

3.独立後

2000年に独立するとWindowsサーバだけではなく、法人向けLinuxサーバの要望に対応するためLinuxも使い始めました。これは、Webサイトの需要が多くなってきたためです。
CGIやデータベースも本格的に開発を始めました。
最初の頃はTurbo LinuxやFedora,Red Hat等を使っていました。
その頃はオンプレミスのサーバしかないので、何をするにも現地作業という時代でした。
事務所でセットアップして、お客様先に持ち込むこともありました。

一般にも「ホームページ」の需要が増えてくると「レンタルサーバ」も増えてきました。
これはこれで扱いが楽で今でも使う時がありますが、最近はクラウドがメインとなっています。
クラウドは、Windowsサーバ/Linuxサーバ/NWなど構成の自由度が高く、場合によってはオンプレミスと同等に扱えます。

今回は主にコンピュータ・OSを中心振り返ってみましたが、約40年の間に随分環境が変化してきました。
今後も変化を捉え、時代に遅れないように学びを忘れず、業務を進めて行きたいと思います。